不妊症・不育症 治療なしのその後
旦那さん、46歳での転職
私、37歳での転職
生活でいっぱいいっぱいでした。
お互いに子供が欲しかったのでセックスはしてました。
でも、私が不妊症なかなかできるわけもなく日々は過ぎていきました。
もう一度、不妊症・不育症の治療も考えました。
でも、ホルモン治療をしながら、私がフルタイム派遣でのお仕事は、ホルモン剤の副作用で私の体が辛くなる。
(不妊症と不育症 3月25日更新分
https://comari-egao.hatenablog.com/entry/2020/03/25/203922 をご参照下さい。)
多分、フルタイムでお仕事が出来なくなる。
↓
生活が出来なくなる。
↓
子供がもしできても産めるのか・・・
↓
今子供が出来たとして、成人するまで育てられるのか・・・
考えはネガティブループになっていきました。(+_+)
世の中では不妊治療の認識が広がり、不妊治療で生まれた芸能人の子供の話題が流れ始めた頃でした。
お金もない、不妊症・不育症、悩みました。
派遣のお仕事がない時期、昼間外に出ると子供連れの親子を見るのが辛かった。
どうしよう
子供ができないのは私の不妊症・不育症せいと自分を責めました。
そして、2年後
旦那さん、48歳
私、39歳
私は泣きながら、旦那さんに
「子供は諦めよう」と伝えました。
旦那さんは納得がいかない様子でした。
私も納得できてはいなかったけど、現実的にもう無理だと考えました。
それからはセックスの回数も減り、ほぼセックスレスとなりました。
私はその他のことで旦那さんと充実した人生を送れれば、普段は強面の旦那さんが私の前では笑顔でいてくれれば、と思いながら生活を送りました。
でも、納得できないでいると人生の歯車が狂ってくるんですね。
不妊症・不育症の体で生まれた自分を責める。
お姑さんから、「まだ諦めなくてもいいんじゃない」という言葉が心に突き刺さる。
昼間外に出ると子供連れの親子を見るのが辛くて、なるべく夕方に買い物をする。
辛さをお酒とタバコで紛らわす。
辛さを忘れるために、お仕事に集中する。
自分の本当の笑顔が消える。
人に優しくできない。
楽しんでるはずなのに、心のどこかが寂しい。
そんな日々が続きました。
あの頃の私の納得できないまま生活はすごく苦しかったです。
なので、みなさんには自分が納得できるまで、なるべく前を向いていてほしいと思います。