笑って生きていく~自殺者遺族~

自殺遺族と精神疾患・流産・不妊治療・不育治療など病気について経験したこと

お姑さん

旦那さんと結婚する2年前のお正月に初めてお姑さんと会いました。

その時、私は風邪をひいていて、お姑さんのベットで寝ていました・・・(..;)

なので、第一印象ほぼ覚えていません。

 

その後、旦那さんがお姑さんの住む実家に帰ることになり、何度か会うようになりました。

お姑さんはお料理上手で、美味しいお料理を何品も食べさせてくれました。

 

お姑さんの家は整っていてキッチンもピッカピカ、掃除が苦手な私はお姑さんすごいなと思いました。

 

前のブログでも書きましたが、お舅さん病的な浮気性でだいぶ苦労したとお姑さんはよく話していました。

でも、(私の個人的な見立てですが)お姑さんお舅さんを別れても愛していたと思います。

 

お舅さんは長崎の旅館の長男で裕福な家庭で育ち、関西のD大学東京のS大学を卒業していたそうです。

 

お姑さんは貧乏な家庭で育ち、中卒でした。

 

その劣等感があったのか、お舅さんの言うことには逆らえずに生活していたみたいです。

 

お姑さんは旦那さんを産んだあと2人堕胎したそうです。それはお舅さんが家庭に入れてくれるお金が少なく、一人で何人も育てられないというのが理由でした。

 

お舅さんはほとんど家に帰って来なかったそうです。

たまに帰ってくる時に会社の人を連れて来たりして、お姑さんはまだ小さかった旦那さんの弟さんを背負いながら何品もお料理を作ったそうです。

 

そして、たまに帰って来たお舅さんは、旦那さんの成績が少しでも悪いと、眠っている旦那さんを起こし、怒鳴り殴ったそうです。

その旦那さんも何が原因かは知りませんが、弟さんを殴ったことがあるそうで、兄弟仲は悪かったです。

 

弟さんが小学校に上がって、時間の余裕が出来てパートに出たいとお舅さんに相談すると「お前には仕事は無理だと」反対され、パートすることも許されなかったそうです。

今で言うところのモラハラという感じですね・・・(・_・;)

 

旦那さんは専門学校中退後、アルバイトをしてお姑さんの住む実家を出たそうです。

その後、弟さんが就職するまで、お姑さん二人暮らしになりました。

親子というのは似てしまうのでしょうか、弟さんお姑さんには厳しかったようで、モラハラ息子という感じだったようです。

 

お姑さんにとって良かったことは、お舅さんと離婚してから飲食店でパートにできるようになったことでした。

パートは忙しかったけど、楽しかったようです。(*^-^*)

 

一人暮らしになってからも、お姑さんはパートを続けていたそうですが、右の股関節が痛くなり、それでもパートを続けたくて、ブロック注射💉を打ちながら続けていたそうです。

でも、きちんと調べたところ変形性股関節症と分かりました。

 それが分かったのが、お姑さんが50代の時で、当時の人工股関節の寿命が20年位なので、60歳になってから手術したほうが良いと病院の先生に勧められたそうです。

そして、楽しかったパートを辞めて、一人暮らしとなったそうです。

 

趣味もなく、ただ家にいるだけの生活をしていたある日、近所の知人が家に訪ねて来た時に、お姑さんの異変に気が付き、病院に行ったそうです。

お姑さんうつ病でした。

 結婚して旦那さんに両足人工股関節、そして(お姑さんは治ったと言っていた)うつ病のこともあり、私に平日1日お姑さんの様子を見に行ってほしいと私に言いました。

私も心配だったので 、旦那さんの言う通り様子を見て、お話しを聞いていました。

 

でも当時、私が働いていた派遣パートの同僚には、「そんなに無理してたら、自分が潰れるよ」と言われました。

その同僚が行っていた通り、私はその後、潰れました(~_~;)

 

今は私も病気になり知りましたが、うつ病治らない病気で、寛解を維持していくこと、当時の私はそれを知りませんでした。

 

お話しを聞いたり、同情することは決して悪いことではないですが、自分の気持ちに余裕があるときに客観的に聞くべきだと思います。